菖蒲山(釣山)

鳥取県鳥取市菖蒲

鳥取駅より西南、中腹日本海ゴルフセンター練習場ネットが見える山が「「菖蒲山」です。

北側には「座光寺」、中腹に菖蒲神社、釣山古墳群では中世墓が確認されています。

また過去には釣山城(天神山城の出城)、新羅神社吉祥寺と存在した頃の歴史も文献等に残っています。

15世紀に入って守護所を布勢に移して天神山城を築き、鳥取城へ移るまでの100年間この地辺りがが因幡支配の拠点となったとあります。
(東大寺因幡国高草郡高庭庄坪付注進状案)記録より



  

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釣山(菖蒲山)古墳群概略図



(調査年2003年12月24日〜2005年3月30日迄)

墳丘の規模は、墳丘の径が17.5mで高さ1.5m(釣山1号墳、2007年03月21日 新規に登録 )


菖蒲廃寺では塔の心礎と見られる基礎石が残り、この付近で土師百井式軒丸瓦が出土している。菖蒲廃寺の西、本高弓ノ木遺跡と同じ谷に立地する菖蒲遺跡では8世紀後半の総柱建物跡が、菖蒲遺跡のすぐ北に位置する山ヶ鼻遺跡では7世紀後半から平安時代にかけての掘立柱建物跡などが検出されている。いずれの遺跡も菖蒲廃寺との関連が考えられている。8世紀半ばのこの地域は、高草郡に帰属し、高庭庄として東大寺によって荘園開発・経営がなされていたことが、「東大寺東南院文書」「東大寺因幡国高草郡高庭庄坪付注進状案」からうかがわれる。

ただし、高庭庄は10世紀後半までには没落し、国衛領として再編されたものと考えられている。

貞治3年(1364)因幡守護に山名氏が任じられる。山名氏は15世紀に入って守護所を布勢に移して天神山城を築き、鳥取城へ移るまでの100年間この地が因幡支配の拠点となった。

鳥取市文化財報告書より

座光寺 菖蒲神社 鳥取市菖蒲